• 毎日必ず発生する余震に怯えながらの日常ながら、物流、特に食料品が復旧しただけでもかなり精神的に余裕が出てきた。もちろん品不足がないとはいえないが、我慢することができる。
  • ガソリンに関しては、地元では行列が出来る状態ながら、だんだんとその距離、時間ともに短くなっているようで、ちょっと工夫すれば、満タンにして帰ってこれる方法だってある。
  • 宅配も佐川やクロネコが再開した影響で、Amazonも配送を再開したので2週間ぶりに自宅へAmazonからの荷物が届いた。
  • こうやって非日常が日常に戻っていく。でも非日常も日常だったんだとふと思い返す。未だ第一原発では深刻な事態が継続中だし、避難所で不自由な生活を強いられている方々が大勢いらっしゃる。そして津波で壊滅した海岸沿いではがれきの山が未だ回収されないで残っている。
  • 昨日役場機能を移転したとある町のお手伝いに行ったのだが、その移転先の建物のその階は、騒々しく、人があふれ、中では町民の捜索や災害対策が活発に行われ、満足な食事も摂られていないようで、髭が伸びっぱなしでその過酷さを垣間見た。しかし、その階以外のその建物の本来の町の部分は、まさしく寂れた町役場そのもの。そこだけ日常が切り取られたかのようだった。このギャップにめまいがした。地域性とはいえ、困窮していて避難してきた町に対してのフォローが場所を貸すだけで、人力を出さないと云うことはあり得ないと思った。
  • 被災者、被災地はもう十分頑張っている。だから頑張れと云わないで欲しい。なにか出来る事、そのことを被災地、被災者に向けてくれるだけで復興の手助けになるのだと思う。そして国や政府、自治体はそれらの活動に対し、最大限の効果が生まれるように制度の整備や様々な支援を全力で行って欲しいと痛感するのだった。