• ペットを飼っていて、そしてその命の火が消えてしまえば、飼い主には心に傷口または空白が出来る、これはペットロスでこれは確実だ。
  • 経緯はこうだ。この日は介護施設の打ち合わせと自分自身の通院の為、先日の土曜日出勤の振替で仕事は休み。22日の夜はレインを無意識に部屋の外に追い出していて、寝落ちして自室の扉は閉じてたらしい。
  • 朝携帯の目覚ましで起きて、レインの朝飯クレクレ攻撃が無い事に違和感を感じながら1Fに降りる階段で足の裏に冷たい違和感。おからの猫砂を食べて吐いた跡。仕方ないなぁと1Fの床に降りた時に目の前にラグの上に下半身に力の入っていないレインが座り込んでいて、お漏らしの濡れた跡。後ろ足を触ると凄く冷たい。レインは辛そうにか細く啼き、自分はこの非常事態に慌てて、しかし獣医師に連れて行かなくてはという選択肢が浮かんで、かかりつけの獣医師さんに診て貰った。
  • 8年ぐらい前から心臓から異音が聞こえるとは云われていて、最悪心筋症になるリスクについて聞かされていたのが、その通り心筋症による血栓による下半身麻痺だった。手術経験のある獣医師さんの手術が1両日中に必要という切羽詰まった状況で判断をしなければならなかった。手術か見守りか。自分は14歳という高齢を考えて見守りを選択をした。今となってもこの選択に後悔はしていない。その後抗生物質を打ってもらい帰宅し、自室で見守ろうと寝床をしつらえて横たえたところ容態が急変。何回か嘔吐いたと思ったら急に事切れて瞳孔が開いていくのを見えて、体全体が冷たくなっていった。慌てて獣医師さんに電話をし、再診、そして心停止を確認。発見してから心停止を確認するまで3時間半という短さだった。
  • 昨夜仕事で遅く帰って来て、遅めの夕食を上げて、自室に一緒に入って、なぜか足に絡みついてきて噛んできたのでイラッとして足で強く押してしまって、部屋から追い出してしまった。でも部屋の扉を閉めたり、寝落ちしてベットに入り込んだ記憶が無く、いつもならばベットに一緒に入り左腕にムニムニと揉む動作をしてくるのを感じつつ、一緒に寝るというのが日常だったのに、この時は部屋には入れなかったので部屋の外で待機していたのだと思う。そして早朝トイレに行こうとして1Fに降りる途中に下半身が麻痺して、でも頑張って床を汚さないようにとラグのとこころまで這っていったのだと愚考する。
  • 3/23が友引と云うことで獣医師さんから紹介して貰ったペット霊園の火葬がお休みで一晩仏間で休んで貰い、3/24にペット霊園に行きお経上げと火葬をして貰い、遺骨を骨壺に入れて帰宅した。遺骨の小さな欠片を3つのカプセルに分骨して入れ、自分のには一つだけ見つかった牙を入れた。2つは妹たちの分。
  • 仏間の仏壇の下の棚を空けて骨壺を納め、チュールとカリカリを置いて目隠して安置した。散骨や納骨はしないつもり。人間と一緒に祭るのは良くないと聞いたので仏壇には安置せず、でも線香はあげられるように近くにいう考え。
  • ペットロス状態の中、なに長文書いてるんだという感じではあるが、逆に心がぽっかり空いているからこそ何かしなくてはという気持ちが湧いてきて、安置の後、自分の取ったレインの写真の中で最高傑作をL版サイズとA4サイズで印刷してフォトフレームに入れようとして、インクが無い事に気づいての注文完了して、今これを書いている。
  • 母親が亡くなって、猫を飼いたいと思い立ってペットショップに見に行ったら目が合ってもうこの子しか居ないとお持ち帰りして、あまり手も掛からずトイレも食事も水も覚えて、去勢も済ませたので尿のシャワーもなしで汚れ知らず、去勢のせいで発情も無いから落ち着いた生活。その後大震災と新築に伴う引越、甥っ子たちの攻撃にも対応してよくぞここまで長生きしてくれたと感慨にふけっている。急死だったけど、もう何時でもそういうことが来てもおかしくはないと覚悟はしていたつもりだった。でもいざその時が来てしまうともう本当にどうしようもなく悲しいという気持ちしか湧いてこない。声を掛けても返事は無い。昼食を作っていても、よこせと足に纏わり付くものはいない。帰宅して玄関を空けると土間でゴロゴロ体を擦り付けてお迎えをしてくれるものはもういないのだと気づかされて、どうして良いのか本当に分からない。
  • 心の空白は埋まることがないと思うけど、もし次になにか良いきっかけや出会いがあれば今度は保護猫を迎えたいと思っていて、出来れば多頭飼いをしたい。今の仕事状況では難しいとは思うが、転職も有りだろうし自分周りの環境を変えられるのであればなおのこそ。
  • ペットを飼うと云うことは失うということでもある。失いたくないから飼わないという選択肢は自分にはなかった。レインと一緒の14年は伴侶も子供も居ない自分に相応の体験と生活の彩りを与えてくれた。失って分かるとは云うが感謝と愛情のそれ以外なんということは無い。