• 今からおよそ20年前、雑居ビルの2FにPCショップがあり、よくソフトや周辺機器を買いそろえるために通っていた。店員の事務的スペースと展示スペースとの境ぐらいに、そのマシンはあって、ディスプレイは20型ぐらい、フルカラーでとても綺麗な壁紙を表示していた。また誰も触っていない時間が数分あればとても幻想的なスクリーンセイバーが目を楽しませてくれた。そのマシンは客は触る事はで出来なくて、システム構築例として展示してあるらしく、その価格は軽く100万を超えていたと思う。当方はPC-9801用の40Mのハードディスクに10万出すことに真剣に悩んでいた。
  • 今からおよそ25年前、初代Macが高校近くのPCショップに置いてあって、白黒ながら洗練された文字フォントに目を奪われた。PC雑誌に掲載されていた漫画ではすぐ出る爆弾マークを面白可笑しくネタにしていたっけ。当方は中古で流れてきたX1TurboIIとそれに一緒に付いてきた怪しいPCソフトと一緒に3万で購入し、いそいそと家に帰ったことを思い出す。この機体でソーサリアン辺りまでは遊んでいた記憶がある。
  • 音楽を携帯するためのプレイヤがMDではなく、メモリに変わった頃、店舗の売り場はそれ一色になったが、手を出さなかった。専用サイトの存在やアクチベーションが気にくわなかったからだ。そんな風に食わず嫌いをしていたら、いまいちなプレイヤしか選択肢が無くなった。
  • そんなわけで、今まで全くMacには縁が無く、毛嫌いし、見ない振りをしてきた。スマートフォンソフトバンクの繋がらなさを傘にし、現在は評価の低い薄型のandroid搭載のスマートフォンを使用し、2.3へのアップデートが中断されており待ちくたびれた。
  • なので世間のあのような動きにもなんも感慨もない。優れた料理人という評価をした人がいたがそれには同意する。決して新しいものを生み出したわけではなく、既存の技術を極限まで洗練させ、使いやすく、誰でも手に入るようにしただけだが、どん底だった林檎を救って見せた。