• とっても個人的な殴り書き。同意されようと思ってないし、炎上も望んでない(というよりも、見ている人がそもそも少ない)ので、そういう感じで。
  • TwitterのTLで流れている内容で同意できないようなものが流れていたとして、それに対するフォローを行うことは気の小さい自分としては自殺行為。気にしすぎだろうが、言いたいことを言えなくなってしまっている空気が自分の中で流れ始めているのがもやもやして嫌だ。
  • そんなわけで、本来ならば不特定多数に向けて公開しているはずのこのBLOGが、その購読者の少なさより、正直な気持ちが書ける場なのかなという印象。
  • さて書きたい事を書く。気に障ったら読むのをストップ。チラシの裏。要注意。
  • 放射線は怖くない、怖がりすぎという自分のスタンス。耳たこだろうが、たばこの受動喫煙、中国製のすべて、インフルエンザ等の未知なウィルス、自殺、交通事故。そういった類いのものの方がより死ねる。放射線は自然界に普通にある。コンクリートや食物の中にもある。むしろ放射線が全くない環境の方が不自然。
  • かつての原爆、核実験でまき散らされた放射線があふれていた時代。そんな中で放射線を無意味に恐れる者が語る健康被害がどの程度有ったのか、たぶん誰も正しいデータなど持っていまい。あるのはサンプリング調査の結果。放射線の間接作用については調査のしようが無いからだ。人間の体では常にがん細胞が作られており、それは正しい機能で壊死する。壊死しなかったがん細胞が増殖することで初めてがんとなるが、それが放射線が原因か、肉体のエラーなのかなんてどうやって調べたらいいのか? 放射線ががん細胞増加の原因とか、壊死させる仕組みに影響があるといったデータだって無いはず。
  • 上記の発がん性物質については、そのメカニズムが判明している紛れもない事実。死亡率を考えれば、放射線以外の項目の方が大きいことはよく考えれば、自分なんかより知識を持つ物ならば分かっているはず。
  • 最近の論調は原発は悪、放射能(笑)・放射線は悪、東電は悪の根源。悪者と戦う正義の味方がいっぱいだ。正義の味方は悪がいないと輝けない。
  • 原子力工学の権威が放射線について語っているが、東電から原子力の安全性の裏付けのために研究費を贅沢に配分されたであろう大学の教授であったりすると笑止。そもそも原子力に関して批判的でならば研究費すらなく、メディアからも冷遇され、研究すら出来なかっただろうからほとんどいないのではないか?今、そんな推進派がTVで反原発を語っている不思議。
  • 土壌汚染による表土の除去を行えというが、表土の処分問題は棚上げ。廃棄物処分場に持ち込むなんて地域が許さないのは明白。校庭の片隅にブルーシートをかぶった無残な姿で残されている。そして、その放射線量は数十倍だろう。そこに子供が近づけばどうなる?八カ所村やモンゴルにでも持ち込むか?目の届かないところに置けばいいというのは被害者の奢りではないのか?
  • 原発から出る放射性廃棄物の最終処分場問題と根っこは同じ。何も決まっていないのに先走ることが解決に繋がるとは限らない。
  • 原発を誘致し、今まで様々な支援を受けてきた都市の首長が今更反原発を語るのも笑止。そういう者たちはほとんど、原発立地の判断は間違いではなかったと言っており、それは正しいのだと思う。実際のところ原発マネーがその地域の発展に貢献してきたことに間違いは無い。
  • さて、個人的にもっとも気に食わないことは、大震災による原発の重大事故が発生したとたん、それみたことか、反原発だったんだ、原発止めろ、子供を守れといったことを後出して、声高々に言い出したこと。原発で重大事故が発生することは想定内なのだから、その対策を原発設置から40年もあったなら提言できたろうし、させる権限だって行使できただろう。対策されないのであれば原発を停止して使わせなくすればよかったんだから。そんな行動を怠ってきながら、何を今更である。
  • そして、今の福島の状態が子供にとって危険だという親の声がある。家族共々福島を離れるという選択肢が個人的に最良だと思う。しかし、命令されても動かない、自主的だともっと動かないというのは何かが間違っていないか? 福島に住むことを誰も強制していないのに。もちろん、移動先での生活に関しては自己責任である。誰かがなんでも守ってくれるなんて甘い考えは捨てるべきで、結果として様々な手助けがされる事は期待できるだろうから、そういう事には最大限感謝して気持ちよく生活して欲しい。
  • さて、相当なことがなければ福島に残るであろう自分がこの先、現在の高放射線環境下で生き続けたとしてどういう結果が待っているか、サンプルの一部として有効かどうかは知ったことではない。それ見たことかと言う結果が待っている可能性だってある。でも、現実なところちゃんと生きていける環境が福島にはある。精神的に追い詰めるだけの意味の無い情報を避ける行為に若干疲れ気味ではあるが。
  • さて、脱原発で話題に上るクリーンエネルギーとして風力や太陽光がある。切り替えれば原発の代わりになりますというのは誰だって分かる。出来るならとっととやればいい。国がやらなければ県で、市で、地域で、個人で。その結果として電気料や電力量への影響は避けられまい。代替とはそういうことだ。ガソリン車の代替にEVやハイブリット車がなり得ないのと同じ。結局原発と同じ事を望むならば原発からは脱却できない。とはいえ、今更石器時代には戻れないんだからさぁどうする?ってことである。反原発の方々の英知にも期待しよう。
  • 書きたいことを書いたからすっきりした。書いているうちにまとまらなくなるのは常。頭の弱い世の理を知らぬ独身者の戯れ言として記しておく。数年後読み返したときに、自分がどういう表情をしているかそっちがこれを書いた目的にでもしておこうか?
  • こういうことを書いておいて、ふと時間を空けて思い返してみると、このような頭の固い考え方しか出来なくなった事自体が中年になったと言うことなのかもしれない。